西寺跡・羅城門跡


史跡 西寺跡
史跡指定:大正10年3月 3日
追加指定:昭和41年3月22日
 西寺は、平安京が遷都されてからのすぐ廷暦15年(796)頃から、平安京の入口にあたる羅城門の西側に東寺(教王護国寺)と対称に造営された官寺である。
金堂、講堂(屋根には緑釉瓦が葺かれていた)を中心として南大門、中門、五重塔、僧房、食堂など主要な建物が立ち並び、国家の寺として隆盛を誇っていた。しかし、西寺は東寺に比べて早くから衰え、天福元年(1233)には塔も焼失し、以降は再興せれることなく地中に埋もれてしまった。近年、数多くの発掘調査が実施されて、主要な建物跡が次々と確認され、一辺が22mもある市内でも最大の井戸跡が検出されている。
 寺域は、東西二町(約250m)南北四町(約510m)を有し、主要伽藍跡は現在唐橋小学校と西寺児童公園(講堂跡が公園中央に土塁として残る)の下にあり、伽藍中心部は国の史跡に指定されている。
 西寺は、平安時代の寺院を研究するうえで重要なだけでなく、東寺とともに平安京を復原するうえでたいへん貴重な遺構である。
東寺・西寺 比較配置図
西寺の推定復原図
東寺



平安京平面図
羅城門跡
 この地は、平安京の昔、都の中央を貫通する朱雀大路(今の千本通に当る。当時の道幅は28文=約82.3m)と九条通との交差点にあたり、平安京の正門である羅城門が建てられていた。門は二層からなり、瓦ぶき、屋上の棟には鴟尾が金色に輝いていた。正面十文六尺(約32m)、奥行二文六尺(約8m)内側、外側とも五段の石段があり、その外側に石橋があった。門外には、作道が鳥羽の河港までつづいていた。嘉承三年(1107)正月、山陰地方に源義親を討伐した平正盛は、京中男女の盛大な歓迎の中をこの門から威風堂々と帰還しているが、この門は平安京の正面玄関であるとともに、凱旋門でもあったわけである。
 しかし、平安時代の中後期、右京の衰え、社会の乱れとともに、この門も次第に荒廃し、盗賊のすみかともなり、数々の奇談を生んだ。その話に取材した芥川竜之介の小説による映画「羅生門」は、この門の名を世界的に有名としたが、今は礎石もなく、わずかに明治二八年建立の標石一本を残すのみである。

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